奥州街道を行く

春が一気に駆け抜けて、新緑が鮮やかな季節となった青森です。
日によっては夏の気配すら感じるほどの暑い日も。
全国的にはもうすでに30度超の気温を観測する地点も続出。
今年も長く暑い季節がやってきそうです。
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先日仙台メディアテークにて行われた「第3回JIA東北建築大賞2024」の表彰式に出席してきました!

素晴らしい作品と共に並ぶことに改めて感動を覚えつつ、大賞の「大熊町立 学び舎ゆめの森」の設計者の講演を拝聴。
東日本大震災から14年余り。
傷を負ったというよりも全てを失くした大熊町に完成した学舎。
それは震災後の新築した建物ではあるが、震災以前から「教育」に対する熱い想いが町にはあった。
それが芽を出し、こうして花を咲かせた。
そしてきっと、これからも多くの花を咲かせ続ける。
そんなことを想像し、ぜひいつか行ってみたいと思いながら、会場を後にしました。
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少し時間を巻き戻して。。。
表彰式が開催された仙台への道すがら、26年前に竣工した住宅へアフターのため久しぶりの訪問。
奇しくも「曲屋KANEKO」にも近い東北新幹線の七戸十和田駅で下車し、奥羽街道を北上したところにある住宅へ。
奥州街道は栃木県の宇都宮市から青森県の三厩(みんまや)までを繋ぐ日本最長の街道で、街道沿いには宿駅が百十四次もあったそうです。
東海道は五十三次ですから、その倍近くのある長い道のりを、車も新幹線も飛行機も無い時代、人々は歩いてもしくは馬に乗って移動していたのです。
この道を切り開いた先達の知恵や苦労はとうてい計り知れません。
「曲屋KANEKO」も築造から100年を超えて次の100年へと進んでいます。
100年前、大工たちもこの街道を材を運び、あの大きな建物を金物を使わずに組み上げ、地域の人々が協働して茅を葺いたのでしょう。
その茅が抜けて屋根が痛む毎に、皆で協働して葺くことを繰り返して今に至っています。
私たちが関わったのはその一瞬。
厩戸として使われなくなって朽ちかかっていた曲屋に、令和という時代を白い箱で埋め込みました。
こうして再び使われ出した建物は、街道のそばでこれからも行き交う人を見続けていくでしょう。
多くの人がこの曲屋屋根の茅を葺き替えてきたように、次の100年へ向けてつなぐデザインに関わることができ、本当に嬉しく思います。
クライアントと施工者、多くの関係者に改めて感謝して、私たちも道を進みます。
まだまだ細く先の見えない道ですが、進んだ先にきっとまた先達の足跡が見えてくる(ハズ)。。。
そんなことを思いながら街道を歩く晴天の一日となりました。
曲屋KANEKO 2020年 青森県七戸町