築百年の日本最古の木造厩舎を新たな百年へと伝えるプロジェクト

風土と場所性
場所は青森県上北郡七戸町。内陸部に位置し、青森の平野部の中でも冬の寒さは厳しく、夏は「やませ」と呼ばれる冷たく湿った季節風が吹く地域。そのような厳しい環境下で長く馬と共に生きてきた、数少ない地域の一つ。馬は乗り物としてだけではなく農耕馬や軍馬、競走馬として時代と共にその役割を変えながら現代に至っている。しかし現代においては自動車が普及し、農業も機械化が進み、競走馬として生きていける馬はほんの一握りであり、馬と人との共存は過去のものになりつつある。

建物を包括する牧場
そのような青森の南部地域にある牧場「ハッピーファーム」に今回対象施設はある。かつてこの地域では「南部の馬文化」が育まれ、競走馬の育成に注力した歴史を持つ牧場の一つであったが、現在は八甲田山を望む雄大な自然の中で、のびのびと牛を育てている肥育牧場である。
現在ここでは、ジェラートを片手に牧場内を散策し、馬やアルパカ、羊などの動物にも触れ合うことができる。また菜の花や向日葵などの草花、そしてケヤキの並木道と行った季節毎に変わる風景と共に、広場には農耕車やブランコなどが並ぶ子供から高齢者までのた幅広い年齢層の方が楽しめるようになっている。また、ファーム内には、今回の曲家意外にも複数の登録有形文化財や神社、日本庭園など多くのコンテンツが存在している。
その一方で、敷地内に酪農施設も混在しているため、広大で開放的な土地にも関わらず、一般の人はどこまで立ち入って良いのかが分かりづらく、自由に散策することが難しい雰囲気となってしまっている。

プロジェクトの背景
敷地内に複数ある登録有形文化財の一つが、今回改修対象の築百年超の最古の木造厩舎「南部曲屋風育成厩舎」である。一部、馬とポニーなどが入っているが、その他大部分は長い間遊休施設となっており、茅葺屋根の葺替えなど維持はかなりの負担となることから、新たな活用方法を模索していた。
そこで厩舎としての機能は残して地域の歴史と文化を伝えつつ、高い建築技術による合掌造りの軸組や曲梁を組み上げた空間を活かし、そして牧場内を訪れた人も気軽に立ち寄れるような開放的なスペースとしてデザインすることが求められた。


歴史と記憶の継承、未来へ繋ぐプログラム
改修前の南部曲屋風育成厩舎
かつては競走馬の厩舎として使われており、多くの馬房や応接室がありました。いくつもの馬房は同じモジュールで1階に並んでいた。改修前は一部を除き居室として使用されておらず、土間に存在する井戸も塞がれた状態であった。2階は飼料置き場となっており、利用時は梯子で上り下りしていた。建設から100年以上が経過したこの大規模木造厩舎は、現行の建築基準法では既存不適格の状態であり、大きな変更はコストが膨らむため、可能な限りでの構造補強と部材の補修、照明器具や水回りの設備機器の更新をクリアすることが求められた。

馬と人が共存する空間
長らく軍馬の育成地域として有名だったこの地域は、戦後は競争馬の育成として繁栄してきた。いわゆる農耕馬としてだけではなく、人と馬が深い関係を築いてきた地域であった。しかし近年はその関係も薄れ、馬に限らず動物と人との距離は離れてしまった。ただそのような時代にあっても、この牧場には馬や羊が飼われている他にも雉子や猫が住み着き、穏やかに触れ合える環境が存在していた。そこで、緑豊かな環境との中にあるこの厩舎も人と馬が共存する空間として活用できるよう改修した。デリケートな馬の環境を優先しつつ、馬と人が利用するエリアを明確に分けたプランニングとした。

過去と未来をつなぐ空間デザインを目指して
小屋裏に内包された白箱
飼料や茅の置き場だった小屋裏に階段を新設し、二階に白い箱を挿入。これにより、人の目に触れることのなかった伝統建築の軸組を間近に見られるようになり、職人技術や「結(ゆい)」と呼ばれる相互扶助の文化を感じられる空間となった。
馬文化の歴史と記憶の継承
馬の育成が盛んだった当時、馬房が並び仔馬が飼育されていた。そのモジュールを引き継ぎ、入口は馬房の柵をモチーフにデザイン。板の間からは奥まで見通せるようにし、馬がかじってすり減った柱を残すことで、当時の厩舎の雰囲気を直に感じられる空間とした。
地域の文化の伝承
七戸町には馬文化とともに、南部小絵馬や南部菱刺しなど独自の文化が育まれてきた。それらの歴史に改めて触れ、新たな形で取り入れることで、未来へとつなぐデザインを目指した。

馬房のモジュールを活かして、馬文化の歴史と記憶を継承する1階
建物の西側を人のゾーンとし、床を450mm上げて新設。馬房の部屋割りを活かし、板の間から厩へと続く眺めを演出。柱や梁を極力残し、厩の歴史や記憶を伝える空間にした。

土間
蹄鉄跡をつけたコンクリート土間を新設。高天井とし天井裏に隠れていた曲り梁を現しにした明るい土間。井戸には厩の歴史を刻んだ。


板の間
既存の柱や天井を活かし、馬房柵をモチーフにした建具や透過性のある鉄骨階段とガラスで奥行きを演出。板戸の小窓で馬の体調に応じた間仕切りが可能。


馬房のモジュールで1階の各部屋を新たな人の居場所へ改修
床を新設した各部屋は、馬房のモジュールを引き継いだプランとし、馬房の柵をモチーフにした建具をデザインした。それぞれ異なったインテリアで、季節ごとに違った表情を見せる牧場の眺めを味わうことができる。






小屋裏に内包された過去と未来をつなぐ白箱

階段を上がると、白を基調としたシンプルな空間が広がり、次に天窓越しの光に照らされた小屋裏の迫力ある構造が現れる。そのシークエンスが過去と未来をつないでいくのではないだろうか。




建築の伝統技術の継承と新技術によるバージョンアップ ①
伝統木造工法による築百年越えの古民家は、土台や柱、曲がり梁など主たる構造体を不朽に強い青森ヒバや杉、強耐力の松等によって巧みに組み上げられている。
2階の屋根は小釘を使わず縄で組み上げた力強い合掌造りに茅葺きである。経年変化によって精度が落ち、建具や床への歪みが生じている。現在では工場製品の台頭や道具の進化により、茅の葺替えと共に高い大工技術は減りつつある。そこで、現代の新しい技術と貴重な伝統技術を併せたバージョンアップを目指した。
具体的には不朽箇所の修復や耐震性向上、そして設備機器の設置や断熱補強と同時に、曲がり梁や2階の迫力ある構造をそのまま現すことで、伝統木造技術を生で伝えることを目指した。

軸組の改修
柱や土台における不朽部の交換(接木)や補修(埋木)、そして部材のスケールアップや梁補強などによって全体的な補強を施した。2階床は現在の床に根太を増し打ちし構造用合板により補強をした。これにより2階の床は新設したが、1階の根太、床裏現しの天井は極力以前の姿を留めおくようにした。


土間コンクリート
基礎はエレベーターの設置部分、新設階段部分、土台の補強が必要な箇所等に新設した。また、今回事業所として使用する部分は湿気対策としてコンクリートを打設し、玄関土間は叩き金鏝仕上げとした。

2階の白箱の構造
2階の新たな構造物は耐力を期待せず、既存構造体を利用した間柱による間仕切り壁とした。天井の支持部材を主構造の梁から吊って設置した。

外観をそのままに断熱補強
対象建物は非断熱であったため、冷暖房設備を設置し部分的に断熱補強を行った。登録有形文化財のため外部からの改修をせず内部から行った。断熱材は湿気に強い高性能な板状の発泡系を用い、断熱性・機密性を考慮し樹脂サッシや木製窓を設置した。


設備機器の隠蔽
構造体が現しになることで、エアコンの配管や設備機器そのものが目立ってくるため、縦格子による意匠調整やフェイクの梁などによってP S等を確保した。

建築の伝統技術の継承と新技術によるバージョンアップ ②
構造補強
伝統木造建築は地震などの揺れに対応して変位に耐える構造であり、茅葺きの屋根の重量によりバランスをとっている。改修にあたっては、時刻歴応答計算による耐震診断を行い、構造補強を行った。

鉄と木で馬房が見通せる階段を新設
上下をつなぐ階段は、1、2階の性格の異なる空間を違和感なく繋ぎ、かつ1階の馬房の連続性を保つように、透明感があって軽やかなデザインとした。繊細な部材となるように鉄骨のささら桁に木製段板を載せた造りとし、視線が馬房まで抜けるようにしている。

この地域特有の文化を伝承するデザイン
南部小絵馬
この地域に伝わる南部小絵馬は、丈夫な仔馬を授かるようにと願掛けしたことが始まりとされているが、現在この絵馬を描いている方は一人になってしまった。手描きで一枚一枚仕上げる絵馬は、どれとして同じものはなく大変貴重なものである。南部小絵馬を一人でも多くの方に知っていただくために神社に奉納される通常のスタイルではなく「欄間」に組み込んだ。

蹄鉄や馬具
1階の土間には蹄鉄を、2階には当時の馬具を展示した。当時馬がここにいた証や、蹄鉄職人などの多くの人々が馬に関わっていたことを伝える。



南部ひし刺し
青森の南部地域には「ひし刺し」という刺し子の技法が伝わっている。本来布の保温・補強のために始められた「ひし刺し」だが、現代ではクラフトワークとして人気がある。その模様は地域特有のものや、動物、植物を表現したものなど数百種類があるといわれている。今回は七戸特有の模様の他、牧場ゆかりの「馬の眼(まなぐ)」や「「牛」等を選び、仔馬をモチーフにしたスツールや格子壁の装飾パネルとして、ファームのスタッフの協力も得て作成した。



馬文化と曲屋の歴史と記憶を継承するサインデザイン
曲屋の看板や部屋名のサインは、絵馬と蹄鉄をモチーフに作成した。改修部の各部屋は馬房にも続き、多くの馬が飼育されていた当時の馬房の連なりを表現した。




