住み開き
昨日、久々に住み開きをしました。
「住み開き」とは、アサダワタルさん(日常編集家)の造語。
マンションの一室を、ホームパーティーの延長みたいに開放したのがはじまりだったそうです。それが様々なカタチで広まり、「住み開き」ということばも浸透していきました。「コミュニティデザイン」や「サードプレイス」なども同じ時期に広まってきた、といえるかもしれません。
「住み開き」に厳密な定義はないそうで、
あれもこれもいろんな事例が入ってきて、それが同じ「住み開き」として語られることが面白さであり、あくまでも表現活動の一環であることを大事に考えているそうです。
それをいろんな人たちと共有することで、さらにそこからいろんなことが派生し、ネットワークができていく。
開かれた窓からカラフルな光線が放たれて、それがまた場所が次々と増えていく、そんなイメージでしょうか。
少し前の日本では、もっと普通に「住み開き」していたように思います。
例えば、「応接間」はその役割を担っていたのかもしれませんね。
「続き間」では、結婚式やお葬式も執り行ったりしてました。
そのときは、遠くの親戚はもちろん、手伝ってくれるご近所さんにも、完全に「開いて」いたのを思い出します。
頻繁ではないにしろ、そうした機会を時折経験していました。
でも今は、明らかに少なくなりました。
たから、様々なカタチで「住み開き」されたりしているのだろうか、と思ったりします。
昨日、住み開きした家は、当然いつもは家族の器として使っています。
でも時々、いろんな人に空間を味わってもらうために「開いて」います。
そして、もっともっといろんなことができそうだと、思うようになりました。
10年目を迎えたこの家の古びてきたところも、変わらずにあるところも、みんな引っくるめて。
また次回は違うカタチで「住み開き」をしてみようと思案中です。
時を経ても、使い続けられ、誰かの居場所にちゃんと育っていく、その種(たね)のような建築デザインをしていきたい、と思うのです。